正語、正業、正命

復習

倫理的な規律、集中力、判別する認識における三つの訓練(三学)は、私たちの諸問題や私たちが経験するいかなる苦しみでも乗り越えることを手助けすることにいつも焦点を置いています。その方法は私たちの困難さの原因を特定すること、そしてこれらの諸原因を除去するために三学を適用することです。

三つの訓練(三学)を、私たちが他者と対応するときに、日々の生活の中で養うことも非常に役立ちます。

  • 倫理的な規律(持戒) – 私たちが他者に対して行動したり、喋ったりするやり方を注視することは重要です。害を及ぼしたり、破壊的であることを避けるために、私たちは倫理的な規律が必要です。
  • 集中力(禅定) – 私たちは他者と交流する時には、彼らに何が起きているのか、彼らのニーズは何かを知るために、集中できることが必要です。もし私たちの心があちこちに散らばって、定期的に自分の電話を見るのであれば、それは他者とのコミュニケーションをとても困難にするでしょう。
  • 判別(智慧)– もし私たちが他の人の言うことをよく聞けば、私たちは何が適切な反応であるかを決めるために、判別する認識を使うことができるでしょう。これもまた他者に対して適切に考えたり、喋ったり、行動する方へ導くでしょう。

三つの訓練(三学)は手に手を取って互いを補強しあいますが、それ故に私たちは三つ全てを同時に適用する必要があります。他者と一緒にいない時には、三つの訓練は自分自身への観点からも素晴らしいものです。

  • それらは私たちが自己破壊的なやり方で行動することを予防します。
  • 私たちの心は焦点が当たっています、ですから自分が達成したいことが何であれ達成できます。
  • 私たちは基本的な知識を、何が適切で何が不適切かを判別するために使います。

そのようにして、個人的な状況でも社会的な交流のためにも、三つの訓練は私たちが日々の生活で応用できる非常に基本的な原理です。

八正道

三つの訓練(三学)を訓練する時に、私たちがこれをどのように行うのかの提示の一つは「八正道」と呼ばれています。これらはこの三つの側面を発展させるための原因となるように訓練する八つのタイプの練習法です。

倫理的な規律の訓練のためには、三つの練習があります。

  • 正しい話し方(正語) – コミュニケーションの取り方
  • 行為の正しい境界(正業) – 行動の取り方
  • 正命 – 生計の立て方

集中の訓練のためにも、三つあります。

  • 正精進 – 破壊的な思考回路を捨てて、メディテーションのためになる心の状態を発展させる
  • 正念 – 焦点の対象や自分の動機を手放さないために
  • 正定 – 建設的なものに焦点を当て続けるために

判別する認識の訓練のためには、二つあります。

  • 正見 – 何が正しくて何が正しくないのか、何が破壊的で何が助けとなるのかを正しく判別することをベースにして、自分が信じることの何が正しいのか
  • 正思惟(正しい動機の思い) – 正見がもたらす建設的な心の状態

さらに詳しく述べると、八つの練習(八正道)のそれぞれに正しくない方法での適用と、私たちが取り入れたい正しく行う形があります。

話し方

私たちの他者への話し方は、自分の心の状態を反映します。それは他者がどう感じて、どのようにみなして、対応として私たちをどのように扱うのかに影響を与えます。それゆえ、どの話し方が助けとなるのか、どの話し方が害となるのかを知る必要があります。

間違った話し方

間違った話し方は不幸と問題を引き起こすタイプです。

  • をつく – 本当ではないことを言って他者をだます。私たちが嘘をつく人とか、言っていることに関しては他者をだます人として知られるようになれば、誰も信じたり、信用したりせず、言っていることを聞かなくなるでしょう。これは不幸な状況を生み出します。
  • 仲違いをさせる話し方 – 人々の友人たちやパートナーにその人について悪いことを言うこと。これは人々が自分の背後では何を言っているのだろうと勘ぐるようになり、自分自身の関係を壊します。
  • きつい話し方  – 酷な話し方や、他者に怒鳴ったりののしったりすること。言葉で他者を虐待するときには、相手もまたこのように話し出すでしょう。マゾヒストでもない限り、いつも自分に怒鳴り散らしてばかりいる人の周りに誰もいたくはありません。
  • 無意味なおしゃべり – いつもなんとかかんとかと話し、他者を邪魔し無意味なことやゴシップを話すこと。その結果は誰も私たちを真面目に受け止めず、人々は一緒にいることが嫌だと思うでしょう。私たちは自分や他者の時間を無駄にします。

正語

建設的な話し方は、上述の四つの間違った話し方のタイプを避けることを補助します。規律の第一のレベルは、何か真実でないことを言いたい気がしたり、誰かに怒鳴りたい気がしたり、ただ喋り捲りたい気がするときに、それは破壊的で、不幸の原因となるのだと気づき、そうしないように努力することです。

これは決して簡単ではありません。なぜなら、あなたは切迫衝動的にそれを言う前に、自分が言いたい気がするまさにその瞬間に気がつく必要があるからです。ケーキ一切れが欲しい時のようなものです。ときには、二こ目のケーキを得る機会があるのですが、衝動的にそれをつかむ前に、「欲しいのだけれど、それを行動に移す必要はない。また太るだけだし、私は体重を落とす必要があるのだ」と考えることができます。規律というときには、このことについて話しています。

これらのことをしたい気がするときに、古代インドの偉大な師シャーンティデヴァは木材のようにとどまるようにと助言しています。私は怒鳴りたくなったり意地の悪いことを言いたい気がするときには、そうすれば自分もあなたも両方を動揺させるだけだと気づき、それを言わないのです。私は木材のように居続けます。何かバカな冗談やふざけたコメントを言いたい気がするときは、それはただの無駄話だと気づき、何も言いません。このような類のことです。

規律の第二のレベルは、代わりに建設的なことを実際に行うことで、つまり利益のあるやり方で話すことです。これは、そうすることで、幸福をもたらし、どの状況もさらに調和的になるとの気づきから生じます。ここで必要なことは原因と結果の因果の観点から考えることです。

正しい話し方を育むことは、非常に意識した努力と真実にそって、穏やかに、優しく、適切なときに、適切な方法で、意味のあることだけを話そうとの強い決断が要求されます。

  • 私たちは人々を定期的に邪魔したり、継続的に電話をかけ続けたり、メッセージを送り続けたりしないように努めるべきで、特に朝食に何を食べたとか噂話のようなつまらないことについてですが、他者を邪魔するだけの無意味なおしゃべりでしかありません。
  • 他の人々に話しているときの適切なやり方は、あることについて過剰に説得しようとはしません、特に相手がすでに同意しているときはそうです。

もちろん、私たちは判別を使います。例えば、正直に話すことに関しては、誰かが醜いシャツやドレスを着ている場合、相手を傷つけるので、あなたは「まあ、それは本当に醜いね」とは言いません。私の姉が尋ねていたときに、外出しようとしたとき、姉はブラウスを着ました。少し伸びていてうまくフィットしていなかったので、彼女は自分の姉ですからもちろん見た目が良くないと言えました。自分の家族以外の人々にそうすることは難しいのです!新しいガールフレンドに「着ているブラウスは醜いね。何か他の服を着てよ!」とは、それが本当であっても言ったりしませんよね。

きつい言葉に関しては、そうですね、ときには何かをきつく言う必要もあります。子供がマッチやライターなどで遊んでいれば、強くいう必要があります。それは酷な話し方としては数えません、なぜならあなたの動機は怒りではないからです。ですから、動機が本当に最優先されます。

間違った話し方の他の例

私たちはこれらの破壊的な話し方を、他者に対してだけでなく、自分自身に対しても広げることができます。これらの破壊的な話し方についてもっと幅広く考えることができるのです。

嘘をつくことは、他者に対して自分の感じていることや自分の意図について嘘をつくことも含みます。私たちは誰かに愛している – 自分自身を信じ込ませていることさえあるでしょう - と伝え、とても仲良くしているかもしれませんが、実はただ金とかなどが欲しいだけであったりします。ある意味では、これはごまかしです。もちろん、私たちはその人に「実はあなたを愛してはいないのだが、あなたの金が欲しいだけだ」とは言いませんね、それは少し適切ではありません。しかし、自分の感じていることや意図に対して誠実であるかどうかを調べる必要があります。

仲違いを生むような話し方には、私たちの言うことがあまりにも不快なもので、友人たちが去っていくときも含みます。ある人々はいつもただ文句を言っていたり、いつもネガティブで、それで他の人たちが避けるようになります。もし私たちがそのようであれば、誰が一緒にいたいでしょうか?あるいは、話し続けていれば、他の人は何かを話すチャンスさえありませんが、それでは人々が離れていくでしょう。私たち全員がそのような人々を知っていますが、そのような人には特に頻繁に会いたくはありません。他者について良いことを言うのはいいことですし、できる限りポジティブになることもいいことです。

きつい言葉は他者だけでなく、自分自身をも虐待します。私たちが他者にバカだとかひどい人だとか言うときは、もちろん残酷です。ですから、それを自分自身に向けることもまた残酷なことです。より幸福になることは決してありません。ですから、自分自身に対しても良い態度でいたり、自分自身の扱い方や、心の中で自分自身に対する話し方も良い態度でいることは大切です。

無意味なおしゃべりに関しては、自分自身の個人的なことや、自分の疑念や、心配事について見境いなく話さない方がいいでしょう。他者と共有しない方がいいことがあるのです。例えば、ある人があなたにゲイであるとかガンを患っていると、あなただけに内緒で打ち明けたとすれば、あなただけの秘密にするべきです。人々の信用を裏切ることは、通常は無意味なおしゃべりに含まれます。

正しい話し方(正語)は、実際正しい状況において、正しいときに、適切に話すことについてです。ときには、フォーマルに話す必要があるでしょうし、ときにはインフォーマルに話す必要もあるでしょう。人々が気持ちのいいような話し方が必要です。子供に何かを説明するときには、その子が理解できるように説明する必要がありますが、これは大人や他の文化を持つ人々に対しても広げることができます。

行為の境界(行動)

八正道の第二は、専門用語ですが正しい行動の境界についてです。私たちが境界について話すときは、「この境界までは行動するが、それを超えては行動しない」とする、ある限界について話しています。

間違った行動

境界を超えていくとは、三つのタイプの破壊的な行動を示します。

  • 命を奪う – ある生き物を殺すこと
  • 自分に与えられていないにものを取る – 自分に属さないものを取ること、盗み
  • 不適切な性行動に携わる。

殺生

端的に、これは誰か他人の命を取ることです。人間だけでなく、あらゆる類の動物、魚、昆虫などを含みます。

大多数の人にとって、狩猟や魚釣りを諦めることはそれほど難しくはないと思われます。ある人には、昆虫を殺さないことはより困難でしょう。これにアプローチするには、「このハエは前世では私の母親であった」などと考えるなどと前世や来世のことに触れることを抜きに、方法は数多くあります。主に強調されるのは、何か自分が気に入らないものがあれば、自分の最初の本能的な反応がそれを殺したいことではないことです。これは自分が嫌いなものは暴力的に破壊したいとの習慣を築き、顔の周りでブンブン飛び回るハエを越えることになります。代わりに、気に入らない何かを対処する平和的な方法を探そうと努力する必要があります。ですから、ハエや蚊の場合は、壁に止まればコップを置いて、その下に紙を一枚しき、外へ逃がすことができます。数多くの場合、自分が好きでないものを対処するときに、より平和的な非暴力的なやり方を見つけることができます。

もしあなたが、インドに住めば、私がそうしたように、昆虫と共生することを学びます。インド中の昆虫を全て退治することなどできません。私はよく旅行会社の広告として、「昆虫が好きなら、インドを大好きになるでしょう」と想像したりしました。最初にインドに移住したときは、昆虫などは好きにはなれないような背景がありましたが、サイエンス・フィクションの大ファンでした。私は遠い惑星に旅をして、そこでの生命体はこんな昆虫の形をしていると想像し、彼らに会うたびに叩き潰したいとだけ考えるのは本当にひどいことだと!自分を昆虫の側に置いてみれば – 結局、彼らは自分のことをやっているだけだ – そうなれば、一つの生命体としてそれを尊重し始めます。

言うまでもなく、害のある人々がいるように、害虫もいるので、それらをコントロールする強力な方法がときには勧められます 。しかし、人間同士の対立であれ、シロアリやゴキブリなどがはびこる家などの場合でも、最初に平和的な方法を試すことが最善です。

しかし、農作物を食べるイナゴのケースを考えてみてください。動機がかなり問われます。例としては、ブッダが船の先導者であった時の前世が挙げられます。そこには船に乗った全員を殺そうと企む者がいましたが、ブッダはこの大量虐殺を平和的に解決する方法がないことが分かり、唯一の解決策は彼自身がこの大量虐殺者を殺すことだと分かりました。そこで、ブッダはこの人を殺しましたが、それは怒りや恐れなどではなく、慈悲の動機を伴いました。つまり乗り込んだ人々の命を救い、その者がとてつもないネガティブなカルマを築き上げることを防いだのです。しかし、またブッダは誰かを殺したことを認めましたが、その動機が何であれ、それはやはり破壊的な行動ですから、ブッダは「他者の命を救うために、このことの導くカルマの結果を私自身が喜んで受け入れよう。」と決心しました。

ですから、作物を救うためにイナゴのような捕食者を殺す必要があれば、 - 怒りや恐れや作物を売ることで大金を得たいのではなく – 慈悲によるのであれば、怒りでそれを行うよりはその結果はより小さいでしょう。しかし、ブッダのように、それがネガティブな行動であることを認める、それにより生じる結果が何であれ受け入れる必要があります。

盗むこと

ほとんどの人々が自分の所有物よりも、自分の命に愛着するでしょうが、それでも、もしあなたが誰かの所有物をとれば、それは両者にとって、とてつもない不幸を生むでしょう。特に盗んだ人が「私は捕まるのだろうか?」と思い続ける場合です。

さて、私たちがしたいのは、自分自身への問題を避けることです。明らかに、あなたが魚や昆虫を殺せば、それは彼らにとって問題です。しかし、あなたにとっても問題です。なぜなら、もし昆虫が邪魔であれば、私たちはいつも自分のスペースに蚊が侵入することを心配してばかりで、退治しようと真夜中に起きたりします。これは楽ではない心の状態です。これらのことを対処する平和的な方法を使えば、私たちの心はより楽でしょう。

盗みに関しても同じことですが、いつもコソコソとして、捕まるのではないかと心配ばかりしています。これは何かを得るために要求される仕事をする忍耐がないので、誰か他の人からそれを盗むと言う非常に強い欲求をベースにしています。

反対の動機による殺生や盗みの例もあります。

  • 動物や魚をどうしようもなく食べたいなどと、愛着や貪欲で殺すこともあります。他に食べる物が全くない場合と、選択肢がある場合は別のことです。
  • 誰かを傷つけたいために、怒りのせいで、その人に属するものを盗むこともあるでしょう。

不適切な性行動

これは私たちのほとんどにとって難しいトピックですが、性行動の背後にあるものは、強力に駆り立てるもの、付きまとう欲求です。仏教では、避けるべき基本的なガイドラインを説明しています。

  • 強姦や他者を妨害することを含む、私たちの性行動で害を生むこと
  • 自分自身のパートナーであっても、相手がやりたくないときにプレッシャーをかけること
  • 他の人のパートナーと性交渉をすることや、パートナーがいるのであれば、他の人と性交渉すること。どんなに注意深くても、問題を作りますね?

不適切な性行動には多くの他の側面がありますが、要するにただ動物のように行動することをしないということです。動物はそうしたいときには、誰が周りにいても構わず、他の動物に乗りかかります。彼らは完全に欲求と色情のコントロールの下にいるのですが、これは避けたいことです。

それでは、私たちがしたいことはある境界を置き、その中において、決してその外には出ずに、性行動を制限すると決断することです。これらの限界は、頻度、性行動のタイプ、体位などを扱います。要するに、どんな時でも、どんな場所でも、動物などや誰とでも、自分がそうしたいから単にやるのではなく、自分の性的な生き方をどのように行うかのあるガイドラインを確立することがポイントです。これは倫理的な規律に関して非常に重要なことです。自己規律は自分が決めた境界を超えることを避けることです。なぜなら、それを超えて行くことは単なる色情をベースにしていることで、色情は数え切れない問題の原因であると理解するからです。

中毒性物質の摂取

中毒性物質の摂取はこれらの破壊的な行動には含まれていませんが、自分の進歩に関しては、それらを止めることが非常に重要です。

私たちは集中を発展させたいのですし、規律を発展させたいのです。ところが、酔っ払った時には、すべての規律を失いますね。幻覚剤やマリファナを使えば、すべての集中を失います。私たちの心は、心のさまよいとファンタジーでいっぱいになります。様々な薬物、アルコールの効果を見てみて、そして自分自身の個人的な進歩に関して、何を達成したいのかということを比べてみれば、ハイになったり酔っ払ったりすることは矛盾すると分かります。それは酔っ払っている間だけでなく、二日酔いのように残ることもあり得るのですから、障害を生みます。ですから、その使用に関してある種の限界を置くことは全くいいことですが、もちろん完璧に止めることが最善です。

行動の正しい境界(正業)

自己規律の一つの側面は、破壊的なタイプの行動を控えることです。他の側面は、建設的な行動の取り方に取り組むことで、これは「正しい行動(正業)」と呼ばれています。

そのため、他者の命を奪う代わりに、積極的に命を保護することを助けます。これの幅広い適応は、環境を破壊しないことで、環境を大事にして、動物や魚が自由に生きることができるようにすることです。豚を飼っているのであれば、太らせて食べるために餌をあげるのではなく、豚が丈夫に育つために餌をやるのですが、それは命を保護することです。犬に餌をやることは、命を守ることを助ける一つの方法です!病気の人を世話したり、傷ついた人を助けることなども含まれます。

あなたの部屋でブンブン飛ぶハエやハチのことを考えて見てください。それは外に出たいのですが、どうしていいのかわからないのです。間違えてあなたの部屋に入るという簡単な間違いをしたために、あなたがそれを殺すことはあまりいいことではないですよね。窓を開けて外に出られるようにしてあげることは、命を守る助けをすることです。そして、そのハチは生きたいのです!もし鳥が間違えてあなたの部屋に入り込んできても、撃つために銃を持ち出してきたりなどしませんよね。ハチと鳥の違いは、単にサイズ、容姿、それが作り出す音なのです。部屋にハエが入ることが好きでないのであれば、窓を開けないとかスクリーンを設置してください!

盗まないということに関しては、正しい行動は他の人々の所有物を保護することです。誰かがあなたに何かを貸した場合は、それを壊さないように最善を尽くしましょう。他の人々が素敵なものを持つ手助けをしようとしましょう。

不適切な性行動(それには他の人々とのセックスだけでなく、自慰行為も含みます)の代わりに、盛りのついた犬のようではなく、性的に優しくなる必要があります。

正しい行動と間違った行動の他の例

私たちの論議の拡張を見てみれば、これらの三つのタイプの行動に関連した多くの他の側面が見えてきます。

例えば、殺さないことの拡張は他者を身体的に荒いやり方で扱うことをやめることです。これには、人々を叩くことだけでなく、彼らを働かせすぎたり、身体的に害を及ぼすようなことをさせることです。これを自分自身にも適用できますが、働きすぎたり、十分に食べなかったり、睡眠時間が短すぎたりなどと自分を不当に扱うことです。私たちは自分の行動を他者に関して考えるのですが、自分自身に対しても適用することが重要です。

盗みに関しては、他者の所有物を取ることだけでなく、まず相手に聞くことをしないで誰かのものを使うこともそうです。誰かの電話を使い料金の高い電話をかけたり、許可なく他の人々の冷蔵庫から食べ物を食べたりすることもそうです。料金を支払わずに映画館にこっそり入ったり - これは誰も聞きたくないことですが - 税金を支払わないことです!これは盗みです。「まあ、私が税金を納めないのは、それが戦争のために使われたり、武器を買うために使われるからだ」と論議することもできますが、現実は道路を作ったり、病院や学校などを建てることにも使われています。それらの施設が欲しいのであれば、税金を納める必要があるのです。

ライセンスのない、海賊版のソフトウェアやビデオなどをダウンロードすることに関してはどうでしょうか、これは盗みでしょうか?私はそうだと思いますが、特に明確に「支払わずに、これをダウンロードはしないで下さい」とあれば、全く明瞭です。それが盗みではないということはできません。しかし、原則は境界を置くことです。結果を全く考えずにどんなことでもやるということから、全く何もしないことまでと、それには幅がありますね。盗みに関しては、「銀行強盗をするとか、店から盗むとはしないが、支払わずにダウンロードすることは?それは今は避けられない」と言うかもしれません。少なくともそれはある種の境界を作りますが、それでも支払わずにダウンロードすることは盗みであると認めることは重要です。何かをダウンロードする時に、支払う金があるときとない時では大きな違いがあります。支払えない時より支払える時の方が、単にケチであり意地が悪いのでより深刻です。これは避けるべきことです。

盗みのこの点に関して、自分自身を見てみることができますが、くだらないものに浪費することはやめられます。例えば、ギャンブルは、自分自身の所有物を悪用することです。実際には余裕があるときに、自分自身に対してケチになってもいけません。適切な栄養を取り良い食料を得るためのお金があるのに、ケチなために一番安くて、最低の質の食べ物を買うことは、自分自身から盗みを働いているようなことです!

不適切な性行動に関しては、他者や彼らのパートナーに押し付けることだけでなく、自分自身の体や感情面での健康を脅かすような性行動に携わることをやめることも含まれます。例えば、非常に惹かれる人に会ったとしましょう。ある面では、その人とセックスがしたいのです。ところが、問題はその人があらゆる類の感情面での問題や他の問題を抱えていて、あなたはその人と関係を持てば、行く先には問題があることに気づきます。そこで、自分の個人的な健康のために、関係を持ちません。誰かが容姿が綺麗なだけで動かされてはいけません!

設定した境界を超えてしまった時にはどうするのか

必然的に、時には、自分の行動のために設定した境界を超えたりします。そこで、仏教ではそのような状況を対処するために一連の対抗策を提供します。

  • 自分がやったことを認める。自分自身に正直になる。
  • やったことが何であれ、やらなければよかったのにと行動を後悔する。これは基本的に自分自身をひどい人間だと考えそれを手放さない罪悪感とは違います。
  • 行動を繰り返さないと努力する決断をする。
  • 境界を超えていくことは不幸をもたらし問題を生み出すので、そこは超えたくないと自分の動機を再確認する。
  • 抗策を適用する。例えば、誰かに怒鳴れば、機嫌が良くなかったのだとか何であれを説明して、その人に正直に謝ることができます。

生計手段

これは私たちがどのように生計を立てるのかについてですが、あることは倫理的で、あることはそうではありません。

間違った生計手段

これはある種の破壊的な業界から、または自分自身や他者にも害となるようなやり方で金を得ることを避けることについてです。例えば、

  • 武器の製造や武器の取引
  • 動物の虐殺や狩猟、漁業、虫の駆除
  • 酒や薬物の製造、または販売や提供
  • 賭博場/カジノの経営
  • ポルノの出版や流通

これらのタイプの生計手段は、ポルノが他者の欲望や色情をただ掻き立てる原因となるなどのように、他者を害する原因となります。私たちが普通の仕事についているとしても、正直でいることと不正直なことは避けることが大切です。

  • 客からできる限りの金を得ようと不当に高く請求すること
  • 横領、個人的に使用するために資金を得ること
  • ゆすり、他者の金を得るために脅すこと
  • 賄賂
  • 他者の搾取
  • 偽りの広告
  • 金欲しさに食品や商品に不純物を混ぜること

生計手段には、数多くの不正直なやり方があります!私たちはこの種の生計手段を避けるために、倫理的な自己規律が必要です。

正しい生計手段(正命)

私たちは社会を利益することのできる正直なやり方で生計を立てた方が良いのです。例えば、

  • 医療
  • 社会福祉事業
  • 公正な商業
  • 他者の利益となるような製品やサービスの製造、販売、提供

社会が健全に機能するためや他者の福利に寄与する仕事をやることです。その上にさらに、

  • 他者を騙さない、不当な額を請求しない
  • 適正価格を設定して、常識の範囲内での利益を確保する
  • 従業員には良い給料を支払い、彼らを摂取するようなことはしない。

質問の中にしばしば出てくるポイントの一つが必要性についてです。一度、オーストラリアでチベット人の教師のために通訳をしたのですが、その土地は羊が非常に多いところでしたが、質問が「私が住んでいる町には、羊を飼育する仕事しかありませんが、それはウールや肉として使用されます。私はどうすればいいのでしょうか?他の町に移って別の仕事を探すというわけにはいかないのです。」チベット人のラマは「要点は自分の仕事に対して正直で、他者を騙さないことです。そして、羊を親切に扱い、十分に餌をやり、よく世話をすることです。」ですから、主に強調されることが親切で正直であることです。

まとめ

八正道から得られる助言を見てみると、私たちを締め付けるためのある種の規則だと受け取らないことで、自分自身と他者を害してしまうネガティブな行動から私たちを自由にする境界と受け止めるべきです。

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