Study buddhism nagarjuna 400

龍樹(ナーガールジュナ)

龍樹(ナーガールジュナ、梵: Nagarjuna、蔵: Klu-grub)は無著(アサンガ、梵: Asanga、蔵: Thogs-med)と並ぶ大乗の伝統の偉大な先駆者です。龍樹は文殊菩薩から深甚見(空に関する深遠な教え)を、無著は弥勒菩薩から広大行(幅広い菩薩行)を伝承しました。

龍樹は1世紀半ばから2世紀初頭ごろ、南インドのヴィダルバ国―現在のマハーラーシュトラ州とアーンドラ・プラデーシュ州に存在した王国―で誕生しました。彼の出現は『楞伽経』(梵: Laṅkāvatāra Sūtra、蔵: Lan-kar gshegs-pa’i mdo)など複数の経で予言されていました。龍樹が誕生した時、ある預言者が「この子は7日間しか生きられないが、両親が100人の僧に供物を捧げれば7年間生きられるだろう」と言いました。龍樹が7歳になったとき、両親は彼の身を案じて北インドのナーランダ僧院大学に送り、そこで彼はサラハという師に出会いました。サラハが龍樹に「出家して阿弥陀経を唱えれば長生きする」と告げたので龍樹はそれに従い、僧院に入って「シュリーマンタ」という法名を受けました。

ナーランダ僧院で龍樹は文殊菩薩の化身であるラトナマティとサラハと共に経やタントラ―特に『秘密集会タントラ』(蔵: dPal gsang-ba ’dus-pa’i rgyud)―を学びました。さらに、彼はあるバラモンから錬金術を学び、鉄を金に変える能力を身に着けました。彼はこの力を駆使して、飢饉の間もナーランダの僧たちを養いました。長い年月を経て龍樹はナーランダ僧院の院長になり、律(僧院の戒律)を守っていなかった8千人の僧侶を僧院から追放し、500人の非仏教徒を討論で打ち負かしました。

あるとき、ナーガ(竜)の王の息子の化身である若者二人がナーランダ僧院にやって来ました。彼らは身体から白檀の芳香を漂わせていました。龍樹がその理由を尋ねると彼らは身の上を明かしたので、その香りを多羅母神像のために、竜王の力を寺院建立のために使うように頼みました。彼らが竜の国に戻って言われたことを父王に告げると、王は龍樹が海中にある自分たちの国を訪れて教えを説いたら望みを叶えようと言いました。龍樹は言われた通り海の中に赴き、多くの供物を捧げてナーガたちに教えを説きました。

龍樹は竜たちが『十万頌般若経』(蔵: Shes-rab-kyi pha-rol-tu phyin-pa stong-pa brgya-pa、梵: Śatasāhasrikā-prajñāpāramitā Sūtra)を持っていることを知っていたので、その写しをくれるように頼みました。仏陀が般若経―彼岸に至る気付き(智慧の完成)の教え―を説いた時、竜たちが一部を彼らの国に持って帰り、天部が別の一部を、夜叉がまた別の一部を保管しました。龍樹は十万頌からなる版を持ち帰りましたが、竜たちは最後の二章を彼に渡しませんでした。そうすれば龍樹がまた彼らのところに戻って教えを説いてくれると考えたのです。後世の『八千頌般若経』(蔵: Shes-rab-kyi pha-rol-tu phyin-pa brgyad stong-pa、梵: Aṣṭasāhasrikā-prajñāpāramitā Sūtra)にはこの二章が補完されています。それゆえ、この二つの校訂本の最後の二章は同一のものです。龍樹はまた、ナーガの土を持ち帰り、それを使ってたくさんの寺院や仏塔を建立しました。

あるとき龍樹が般若経を教えていると6人のナーガが現れ、日射しから彼を守るために身体で傘を作りました。それゆえ、龍樹の図像的表現では頭上に6人のナーガが描かれます。この一件から彼は「ナーガ(龍)」の名を得ました。また、彼のダルマの教えが著名な射手・アルジュナ(ヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』の主人公)の矢のように正鵠を得ていたということから「アルジュナ」の名も得ました。こうして彼は「ナーガールジュナ」と呼ばれるようになったのです。

龍樹はのちに大陸北部に赴いて教えを説きました。その途上で彼は道端で遊ぶ子供たちを見かけ、その一人であった禅陀迦(市演得迦、ジェタカ)という少年がいずれ王になると予言しました。龍樹が北部から帰ってきたときには、その少年は確かに南インドの大国の王になっており、龍樹は彼のもとに3年間留まって教えを説きました。晩年の龍樹は、その国にある吉祥山―今日のナーガルジュナコンダを見下ろす聖山―で過ごしました。彼はこの王のために『宝行王正論』(蔵: Rin-chen ’phreng-ba、梵: Ratnāvalī)を著しました。また、『勧誡王頌(友人への手紙)』(蔵: bShes-pa’i spring-yig、梵: Suhṛllekha)の受取人になっているのも同じ王、ウダーイバドラ王(蔵: bDe-spyod bzang-po)です。

西洋の学者の中には、サータヴァーハナ朝(現在のアーンドラ・プラデーシュ州に紀元前230年から紀元199年にかけて存在した王朝)のガウタミープトラ・シャータカルニ王(在位: 106年 – 130年)がウダーイバドラ王であると考える人もいます。また、その次代の王であるヴァーシティープトラ・シャータカルニ(プルマーイ)(在位: 130年 – 158年)と同一視する説もあります。いずれにしても、この王を正確に特定するのは困難です。サータヴァーハナ朝は仏陀が初めて時輪タントラを説いたマラーヴァティーにある仏塔の庇護者でした。この土地は吉祥山から遠くありません。

ウダーイバドラ王にはクマラ・シャクティマンという息子がいて、彼は王になりたがっていました。しかし、彼の母は、王と龍樹の寿命が同じであるため龍樹が死ぬまでは王になれないことを告げ、龍樹は慈悲深いので彼の首が欲しいと頼めば必ず聞き入れてくれるはずだと言いました。実際、龍樹は首を渡すことに合意しましたが、クマラの刀で彼の首を斬ることはできませんでした。龍樹は、クマラは前世で草を刈っている途中に一匹のアリを殺し、そのカルマの結果として、クシャ草(ダルバ草)でできた刃でしか龍樹の首を斬ることができないのだと告げました。するとクマラはその通りのことをして、龍樹は亡くなりました。切断された頭部から流れ出た血は乳となり、首は「私は今から極楽浄土へ行くが、またこの身体に戻るだろう」と言いました。クマラは首を身体から遠いところに運びましたが、龍樹の頭部と身体は毎年少しずつ近づいているそうです。頭と身体が再び一つになったとき、龍樹は再び教えを説くでしょう。龍樹は合わせて600年を生きました。

龍樹は経蔵のテーマについて多くの著作を遺しましたが、その中には「正理集」(Rigs-pa’i tshogs)、「頌讚集」(bsTod-pa’i tshogs)、「教言集」(gTam-pa’i tshogs)が含まれます。

『理集六論』(Rigs-tshogs drug)には以下のものが含まれます: 

  • 『「般若」と呼ばれる根本中論頌』(蔵: dBu-ma rtsa-ba shes-rab、梵: Prajñā-nāma-mūlamadhyamaka-kārikā)
  • 『宝行王正論』(蔵: Rin-chen ’phreng-ba、梵: Ratnāvalī)
  • 『廻諍論』(蔵: rTsod-pa zlog-pa、梵: Vigrahavyavarti)
  • 『空七十論』(蔵: sTong-nyid bdun-bcu-pa、梵: Śūnyatāsaptati)
  • 『広破論』(蔵: Zhib-mo rnam-’thag zhes-bya-ba’i mdo、梵: Vaidalya-sūtra-nāma)
  • 『六十頌如理論』(蔵: Rigs-pa drug-cu-pa、梵: Yuktiṣaṣṭīkā)

『根本中論』自註としては以下のものがあります:

  • 『無畏論』(蔵: dBu-ma rtsa-ba’i ’grel-pa ga-las ’jigs-med、梵: Mūlamadhyamakavṛtti-akutobhayā

「頌讚集」には以下のものが含まれます: 

  • 『法界讃』(蔵: Chos-dbyings bstod-pa、 梵: Dharmadhātu-stava)
  • 『勝義讃』(蔵: Don-dam-par bstod-pa、梵: Paramārtha-stava)
  • 『超世間讃』(蔵: ’Jig-rten-las ’das-par bstod-pa、梵: Lokātīta-stava)

「教言集」には以下のものが含まれます: 

  • 『菩提心釈』(蔵: Byang-chub sems-kyi ’grel-ba、梵: Bodhicittavivaraṇa)
  • 『経集』(蔵: mDo kun-las btus-pa、梵: Sūtrasamuccaya)
  • 『勧誡王頌(友人への手紙)』(蔵: bShes-pa’i spring-yig、梵: Suhṛllekha)

また、『秘密集会タントラ』のいくつかの註釈も龍樹の作とされており、そこには以下のものが含まれます:

  • 『略集成就法』(蔵: sGrub-thabs mdor-byas、梵: Piṇḍīkṛta-sādhana)
  • 『密集生起次第修法合経集論(経合集)』(蔵: rNal-’byor chen-po’i rgyud dpal gsang-ba ’dus-pa’i bskyed-pa’i rim-pa’i bsgom-pa’i thabs mdo-dang bsres-pa, Mdo-bsres、梵: Śrī-guhyasamāja-mahā­yoga­tantra-utpattikrama-sādhana-sūtra-melāpaka)
  • 『五次第』(蔵: Rim-pa lnga-pa、梵: Pañcakrama)

龍樹の最も著名な弟子は、『菩薩瑜伽行四百論』(蔵: Byang-chub sems-dpa’i rnal-’byor spyod-pa bzhi-brgya-pa’i bstan-bcos kyi tshig-le’ur byas-pa、梵: Bodhisattvayogacārya-catuḥśatakaśāstra-kārikā)や『秘密集会タントラ』の註釈を著した提婆(アーリヤデーヴァ、蔵: ’Phags-pa lha)です。

画像出典: himalayanart.org
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