ジャミア・ミリア・イスラミア大学でのダライ・ラマの講演

[音声バージョン:https://www.dalailama.com/webcasts/post/153-jamia-millia-islamia-university。.]

(通訳を介して)ジャミア・ミリア・イスラミア大学と、主賓の[インド人材開発大臣の]カビール・シバル博士、副学長、学部長、教授、学生のみなさん、そしてここにお集まりの全ての方々にお礼申し上げます。まず最初に、皆様に挨拶したいと思います。そして、この賞を私に与えてくださった、ジャミア・ミリア・イスラミア大学に感謝申し上げます。

(ダライ・ラマ法王)マイクを受け取ったので、英語で話してみます。もちろん、聴衆の皆さんは私の英語がとても、とてもたどたどしいもので時々間違った単語を使うかもしれないということを知る必要があります。ですので、片言の英語で話す前に、私は通常、聴衆のみなさんに「注意してください」と助言しています。私が間違った単語を使ったりして、誤解を招くことがあるのです。例えば、私は「楽観主義」のかわりに誤って「悲観主義」と言ってしまうかもしれませんが、これは重大な間違いですね。本当に危険ですから、私の片言の英語を聞くときは十分注意して下さいね。

この学位を受け取ることを大変光栄に感じています。まず最初に、このような学位を受ける際、実際は学位のために時間を費やしたことはなく、勉強もせずに受け取っていると私は通常応対しています。博士号を受ける学生たちは、きっと多くの時間を費やし、多大な努力をしたことでしょう。ところが私はさまざまな大学から博士号の学位を、何の努力もせずに受けているので、とても光栄に思います。そして今、この場所で、格別なことには、イスラム系の有名な大学からの学位ということで、私は深く感謝しています、それは私の誓約の一つが宗教間の調和を推進することにあるためです。

9.11事件以来、私はイスラム教を強固に擁護してきましたが、その理由は、イスラム教の背景を持った少数の問題を起こす人々の行いのせいで、イスラム教全体がネガティブなものとして一般化されているからです。これは完全に間違っています。当然のことながら、現実的に言えば、イスラム教は地球上で最も重要な宗教の一つです。イスラム教は過去何世紀にもわたって何百万人もの人々に、希望と自信とインスピレーションを与えてきましたし、現在もそうですし、さらには将来においても同様に、それらを与え続けるでしょう。これは事実です。さて、私には子供のころからイスラム教徒の親しい友人が何人もいます。例えば、イスラム教徒の商人が少なくとも四世紀前にはチベットのラサに定住し、そこに小さなイスラム教徒のコミュニティーを形成したと思うのですが、このイスラム教徒のコミュニティーからの争いの記録は全くなく、とても穏やかな人々でした。

そしてまた、この国でもイスラム教徒たちを知っていますが、正真正銘のイスラム教の修行者は、全ての生きとし生けるものに対して愛と慈悲を差し伸べなければならないと彼らは言います。さらに、もしあるイスラム教徒が流血を招くようなことをすれば、現実にはその人はもうイスラム教徒ではないとも加えました。そして、「ジハード」の本当の意味は「他人を攻撃」することではありません。「ジハード」の深い意味は、自分自身との内面の闘いなのです(拍手)。怒り、憎しみ、執着などの全てのネガティブな感情との闘いなのです。それは個人の精神的(メンタル)な状態においてより多くの問題を引き起こす感情、そしてそれにより、家庭内やコミュニティー内で多くの問題を引き起こす感情のことです。ですから、これらのネガティブな感情、これらの破壊的な感情との闘いや争いが深いレベルでの「ジハード」の意味です。

したがって、哲学に違いはあっても、どの宗教も本質は同じです。私自身も、他宗教の信徒とのコミュニケーションをより深め、より多く触れ合うことで、哲学的な違いは大きくとも、実践のレベルでは、全ての宗教が、愛、慈悲、赦し、寛容、自己規律、満足することを実践するのだと知りました。問題を起こす人々はヒンズー教徒の中にもいますし、ユダヤ教徒の中にも、キリスト教徒の中にも、仏教徒の中にも-そしてチベットの小さな仏教徒のコミュニティーの中にも、一部の問題を起こす人々がいます。それは明らかです。そのため、イスラム系の大学から学位を授与されたことを、本当に光栄に思うのです。

さて、次に私の誓約(コミットメント)についてです。私は死ぬまでの誓約が二つあります。前に述べたように、誓約の一つが、(仏教徒の一人として)宗教間の調和を推し進めていくことです。もう一つの誓約は、一人の人間として、人間の内面的な価値観を促進することです、生物的に発展する良好な人間性、主に人間の愛情のことです。私たちは生まれるとすぐに、母親の側からは、母親は子供に深い愛情を注ぎます。子供の方もまた、生まれるとすぐに、それが誰か分からずとも、その人に完全に依存します。母親がこのように子供の面倒を見ることで、その子供はとても幸せになりますし、母親から引き離されると、子供は不安になります。動物でさえ同じ経験をするのですが、私たちの人生はこのようにして始まります。生まれた時に最大限の愛情を受けた人は、その後何年も、その生涯においても、より健康で、より慈悲深い人になれるのです。しかし、もしそのような若い年齢で、愛情不足を経験したり、虐待されたりしたら、その経験は一生その人の心に残ります。そのような人たちは、外側ではどのように見えても、内側の奥底には恐れや不信感を持っています。人間どおしの不信感は、実際は基本的な人間性に反しています。つまり、私たちは社会的な動物なのです。社会的な動物にとっては、個々の利得のためには全面的な協調性が非常に重要です。個人は社会の一部であり、個人の未来は社会やコミュニティーの未来に完全に依存します。

次に、あなた自身の人生での成功の土台(基)となるものを考えてみましょう、もしあなたがある種の恐れや不信感を抱くようになったら、周りと距離を置くようになったら、そのような時はどうすれば幸せになれるでしょうか?それはとても困難です!ですから、本物の協調性を育むためには、友情はなくてはならないものです。友情の土台は信頼です。信頼の土台は開放性と透明性です。それらに基づいて信頼を育むことができるのです。その土台となるものは心(ハート)の温かさ、他者の福利(well-being.)に対しての配慮です。そのような気遣いがあると、他人を悪用したり、裏切ったり、騙したり、いじめたりする余地はなくなります、なぜなら他人の福利を本当に気に掛けるようになるからです。それは必ずしも宗教に由来するものではなく、生物的な要因によるものです。

したがって、私の主要な誓約の一つは、「私たちは社会的な動物である」という事実を人々に伝え、共有することです。今、特に現代世界では、世界経済や、環境問題、そして世界全体に今ほぼ七十億人の人間がいるという事情から、各自の利得(interest)は相互に関係しています。この現実に基づけば、「私たち」という概念と「あの人たち」という概念は適切ではありません。今は、私たちは人類全体をひとつの家族と考えなければなりません。ですので、全世界は私の一部だという態度をとらなければならないと、私はしばしば人々に伝えています。「私たち」と「あの人たち」の間に、具体的な境界線を引いてしまうと、暴力が引き起こされます。全人類は「私」の一部であり、「私たち」の一部であるという感覚を持てば、暴力を使う余地はなくなります。

このため、多くの友人たちと共に、私が主に取り組んでいることは、前世紀の二十世紀は、暴力の世紀だったということについてです。二十世紀には、二億人以上の人々が暴力によって殺されました。私は、日本から戻ったばかりですが、核爆弾が始めて人間に対して使用された広島でノーベル(平和)賞受賞者たちの集いがありました。二十世紀は人間に対して核兵器を使ったなんて!なんとひどいことか!たしかに、二十世紀には、多くの発展もありましたが、二十世紀は流血の世紀になってしまいました。もしも、このようなとてつもない暴力が、このような流血の惨事が、人間の問題の一部を本当に解決して、何らかの利益をもたらしたのであれば、それは正当化されたのかもしれませんが、そうではありません。そのため、人類全体に一体感が普及する必要があります。異なる国籍、異なる文化、異なる人種、異なる宗教の信仰は、これらはすべて二次的なことだと私は感じています。重要なのは、基本的なレベルでは私たちはみな同じ人間だということです。

ですから、現在私たちが直面している問題の多くは、本質的に私たち自身によって引き起こされたものだと、私は時々思います。今こそ、幸せな世界、平和な世界を築く時が来たのです。そして、そのためには人間としてのレベルの重要性を強調しなければなりません。私たちの誰もが幸せになる権利を持っていますし、一人一人の利得は残りの人々に依存しています。よって、他者の利得を気に掛けなければなりません。それが自分自身が最大限の利益(りやく)を得るための正しい方法です。

それが、私の第二の誓約(コミットメント)です。第一の誓約は、宗教間の調和の促進で、第二は、基本的な人間の価値観の促進です。ですから、私は死ぬまでこの二つのことを押し進めると自分自身に誓約しました。

さて、あなたたち、若者、ここにいる学生たちに、まず、お祝い申し上げたい。今、あなたたちが学位を取得したのは、計り知れない努力の結果だと思います。おそらく、私が思うに、この数日間は、あまりの興奮で睡眠不足だったでしょう。今夜は深い睡眠をとることができるでしょうね。とにかく、おめでとうございます。そしてあなたたちに伝えたいこと、共有したいことがあるのですが、人生は簡単ではなく、保障は何もないとうことです。今後、多くの問題に直面するでしょうが、私たちは人間社会の一部です。どんな問題に直面しても、乗り越えることはできます。そのためには、自信と楽観主義がとても重要です。若い人たち、あなたたちにはより多くの忍耐力が必要です。若者は、しばしば、欲しいもの全てを、今すぐ手に入れたがり、若干の邪魔や障害に直面すると、士気沮喪してしまいます。チベットのことわざで、「九回の失敗、九回の努力」というものがありますが、これは重要なことです、ぜひ覚えておいて下さい。

もうひとつは、あなたたちは本当に二十一世紀に属する世代であるということです。私は、二十世紀に属しています、そしてここにいる教授や大臣の方々もまた、二十世紀に属していると思います。二十一世紀の内、十年だけが通り過ぎました、残り九十年はまだこれからやってきます。この世紀を本当に新たに形作るのはあなたたちです。ですから、そのための準備ができていなければなりません。より良い、平和な、幸せな世界を築き上げるためには、ビジョンがなくてはなりませんが、そのためには、あなたたちには教育だけではなく、道徳的な原則が必要です。二十世紀で、そして二十一世紀の初めにも、私たちが起こした問題の多くは、教育不足によるものではなく、道徳的な原則の欠如によるものだと私は思います。このため、幸せで、平和な世界を築き、発展させるためには、教育と道徳的倫理の両方が必要です。

倫理には、多くのレベルがあります。ひとつのレベルは宗教的な信仰です。より根本的なレベルでは、宗教的な信仰はなくとも、ただ一般的な人間の経験や常識、そして最新の科学的知見を通じて、心の温かさや、より開放的であることが、体の健康にも非常にためになるとの確信を得ることができます。誰もが自分の健康に気を使います。健康のための最も重要な要因は、心の平和(平安)です。そのため、慈悲心を育むためによりいっそう努力することは、体の健康のために最も重要なことのひとつであり、幸せな家庭を築くためにも重要です。

ですから、教育という面では、あなたたちはすでに高学位を取得しました。今度は、どうかあなた方の内面的な価値観にもっと目を向けてください。人間本来の価値観と倫理のことです。副学長がすでに、人文学的なアプローチで、倫理について述べましたが、これらはとても、とても重要であり、あなた方と共有したかったことです。これで、全てです。どうもありがとうございました。

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