What is happiness catalin pop noyd

幸せとは、長期にわたる健康と安心、心の平穏、生活への満足感―つまり、誰もが常に求めているものです。少しでもこの感覚を味わうと、それが永遠に続くことを願うようになります。

喜びと幸せはよく混同されます。私たちは、美味しいご飯を食べて、高級な服をきて、いつも楽しんでいれば幸せになれると考えることがあります。しかし、これはなぜか上手く行きません。また、全てのニーズや欲求を満たせば幸せになれると考えることもあります。しかし現実には、自分のことだけを考えていると孤独で憂鬱になってしまうのです。

一人で自分の感情や思考に向き合っているのが辛いと感じることもあります。そんなとき、私たちは音楽、コンピューターゲーム、食べ物、セックス、仕事などで気持ちを逸らします。しかし、これらは私たちと他者とを密接に結びつけるものでもなければ、真の幸福感を生み出すものでもありません。

幸せの感覚と他者とのつながりを求めてソーシャルメディアを利用することもあるでしょう。セルフィーに「いいね!」がもらえたり、フレンドからメッセージが送られてきたりすれば、喜びの感覚が瞬間的にほとばしるかもしれません。しかし、それを味わってしまうと、私たちはもっと多くを求めるようになるのです。いつも次の「クスリ」を渇望してスマホをチェックしますが、どんなに多くの「いいね!」やメッセージをもらっても、人とのつながりはなぜだか希薄になったように感じられるのです。

仏陀は、真の幸せの源は他者を大切にすることだと説きました。他者の安全な暮らしや幸せを真摯に気づかうと、私たちの心は温かくなり、他者に向かって開かれ、つながります。そして、私たち自身が真の幸福を感じるのです。身体が健康的になったように感じることさえあります。他者の幸せを気に掛け、彼らを助け、害をなすことを避けるために最大限努力すると、信頼に満ちた友情が生まれ、私たちの人生はさらに有意義なものになります。家族や友人から感情面でサポートを受ければ、人生で何が起きようともそれに向き合う強さが得られるでしょう。

(参照:慈とは何か

他者の幸せを本当の意味で気にかけられるようになるには、まず自分自身のことから始めなければなりません。自分が幸せになることを願わなければ、他の誰かの幸せを願うことなどできないからです。仏教では、自分を含むありとあらゆる存在の幸せを普遍的に願います。

幸せは心の平穏に依存しています。そして、心の平穏は心の暖かさに依存しています。―ダライ・ラマ法王14世

自分は全く無力で、今日の世界に何の影響も与えることができないと感じ、「どうでもいいや、そもそも何で気にしなければならないんだろう?」と思うこともあるでしょう。しかし実際は、見知らぬ人の健康や安全を考えて力になろうとすることで、彼らに影響を与えることもできるのです。レジの列に並んでいるときに後ろの人に順番を譲ったり、誰かに微笑みかけたりするだけで、何か良いことをしたという気分になります。このような行為には私たちに「自分は何かを与えることができる」という自尊心を与えるので、私たちは良い気分になります。自分自身、そして自分の人生に関して、より強い幸せを感じられるのです。

私たちと他の人々を本当に結びつけるものは、他者に自分の価値を認めさせ、自分を幸せにするように強いることではなく、私たち自身が彼らの幸せや彼らの力になる方法を考えることです。つまり、自己没入ではなく、他者の幸せへの誠実な懸念が必要だということです。

(参照:愛を広める

人類は社会的な生き物ですから、他者とつながり合わなければ繁栄することができません。それゆえ、幸せな人生を送るためには、他者への優しさ、思いやり、気配りなどを育むことが欠かせないのです。

ビデオ : ジェツンマ・テンジン・ペルモ — 落ち込みに対処する
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